2013.10.14 10月14日(月)第1ブロック「杉稲西北の会」例会・懇親会開催
第1ブロック「杉稲西北の会」では10月14日(月)に今年第3回目となる例会・懇親会を開催した。
今回は14名が参加し、荻窪南口の「珈里亜」で行なった。テーマは新世話人の件、忘年会の件、およびその他として今後の企画についてであった。新世話人については、桃井地区から梅津弘章さんと明石玲子さん、善福寺地区から中村昌代さんにお願いしたことを報告した。
忘年会は、12月の第2月曜日(12月9日)に実施することを決め、場所の選定は後日行ってから詳細を連絡することにした。今後の企画に関しては、忘年会までにいろいろ考えていただくことをお願いした。当日は、六大学野球の早立戦が行われた後であり、劣勢だった早稲田が延長戦の末立教を破って勝ち点を上げた応援の熱気をそのまま持ち込んだ人、MBLをテレビ観戦して日本人投手の田沢と上原の活躍にしびれた興奮を話す人、プロ野球のクライマックスシリーズを観戦してそのまま参加し、応援していた西武が敗れがっかりした人など様々な話で盛り上がった。
これからも偶数月の第2月曜日に行っていくので、できる限り多くの参加者を募りたい。
次回は、忘年会として12月9日(月)の開催予定(場所は未定)。
【参加者14名(敬称略・順不同)】
明石玲子、浅海延広、池田芳昭、梅津弘章、笠原美子、粕尾吉夫、加藤尚志、久保田貞雄、厚東健彦、田口佐紀子、森淳、山崎武正、若菜茂、森典秋
【文/森典秋、写真/久保田貞雄】
2013.08.12 8月12日(月)第1ブロック「杉稲西北の会」暑気払い開催
第1ブロック「杉稲西北の会」では、月遅れのお盆を控えた8月12日(月)に暑気払いを開催いたしました。
8月中旬ともなれば残暑の時節であり、ちょっと遅きに失したかなと懸念していました。しかし、今年の暑さは格別です。当日の最高気温も東京は35度を超す猛暑日となりました。まさに「暑気払い」に相応しい一夜となり胸をなでおろしました。
会場はカラオケ部会の常設舞台である「クラブイン荻窪」の一室を借り切りました。出席者も、ご多忙と思われる日程にもかかわらず30名のご参加をいただきました。 世話人・加藤尚志氏が司会を担当し、午後6時に「暑気払い」を開始しました。代表世話人・森典秋の挨拶、山田實名誉会長の乾杯の音頭と続き、杉並稲門会本部から出席いただいた前坂靖弘、名取義久、長谷川将の副会長各位、並びに加藤健幹事長のご紹介を皮切りに懇親会に移りました。
宴もたけなわとなったところで、第1ブロック各地区(善福寺、今川、桃井、下井草、井草、上井草)からの出席者が順番に一言ずつ発言し、それぞれの自己紹介を行ないました。2時間30分という限られた時間は、賑やかにそして楽しく語り合ううちにあっという間に過ぎてしまいました。最後の締めは、第1ブロックから新たに杉並稲門会会長となられた久保田貞雄氏にご挨拶をいただきました。時期はずれの第1ブロック暑気払いは盛会のうちに終了しました。
暑気払いの開始を前にしていた時間帯には、雨がぱらぱらと降り始めましたが、杉並区内が雷を伴った激しい雨に見舞われたことは後で知りました。宴会時間ギリギリにお越しいただいた数人が大雨に遭遇したようですが、午後8時30分に解散した頃には雷雨もすっかり収まっていたことから、大半の出席者は杉並区の集中豪雨を知らないままに帰宅されました。これも幸運でした。
次回は、例会・懇親会を10月7日(月)に開催する予定です。第1ブロックの皆様とお会いし懇親を図れることを楽しみにいたしております。できる限り多くの方々のご出席を賜りたくよろしくお願いいたします。(場所は未定)。
【参加者30名(敬称略・順不同)】
秋元克之、笠原美子、堀井慎一、松本淳一郎、新村康敏、森淳、山口博正、赤松弘之、榊原茂典、佐藤正之、松永謙、若菜茂、明石玲子、浅海延広、梅津弘章、厚東健彦、木村達夫、久保田貞雄、田中日出男、粕尾吉夫、中村昌代、加藤尚志、菊池重夫、山田實、前坂靖弘、名取義久、長谷川将、加藤健、森典秋
【文/森典秋・写真/久保田貞雄】
2013.06.10 6月10日(月)第1ブロック「杉稲西北の会」例会・懇親会開催
第1ブロック「杉稲西北の会」では6月10日(月)に今年第2回目となる例会・懇親会を開催した。前回は荻窪駅近くの中国料理店「龍記」で行なったので、今回はブロック内の西地区、善福寺の「魚秀」に会場を移して実施した。
第1ブロックは地域が善福寺から今川、桃井、上井草、井草、そして、下井草と練馬区沿いの西から東にかけて細長い地域分けとなっているため、なかなか一堂に会するには不便なブロックとなっている。これまでは、下井草地域や荻窪周辺で会合・懇親会を行う機会が多かったが、たまには西のはずれになる善福寺地域で開催ということになった。魚秀から歩いて数分の所にご自宅のある加藤尚志さんが日本酒をたっぷり用意して来てくれて、賑やかな懇親会となった。少々酒が利いて議論が白熱化した面もあったが、無事終了した。
【参加者11名(敬称略・順不同)】 明石玲子、池田芳昭、粕尾吉夫、加藤尚志、菊池重夫、厚東健彦、榊原茂典、桝田嘉生、森淳、若菜茂、森典秋
【文と写真/森典秋】
2013.04.08 4月8日(月)第1ブロック「杉稲西北の会」例会・懇親会開催
4月8日(月)に第1ブロック「杉稲西北の会」例会・懇親会を開催した。「杉稲西北の会」としては、例会と懇親会を兼ねた集まりを実施するのは初めての試みであり、今回は荻窪の中国料理店「龍記」で行なった。
第1ブロックの運営に関しては、若菜茂氏と加藤尚志氏が代表代行として加わり、代表世話人の森典秋と3人で役割分担をしていこうということになったものだが、この日の初会合についても基本的には隔月の第二月曜日に開くことを3人で決定した。
本日は、以下の14名にご参加いただき、2つの丸テーブルを囲んで楽しく歓談した。たまたま、第1ブロック主催の「南相馬市被災地へのバスツアー」が4月2日(火)に行なわれた直後であったことから、ツアー提案者の森淳氏より結果報告をしていただいた。現地訪問の詳細については、各テーブルに座ったツアー参加者の久保田貞雄氏、山口博正氏および田口佐紀子さんからも被災地を見て回った状況をお聞きした。その後、これからの「杉稲西北の会」イベント企画として「史跡巡り」や「国会議事堂訪問」等を計画することを話し合って散会した。今後は、この集まりを定例化すべく場所の選定や日程の確定を行ない、できる限り多くの第1ブロック会員が気軽に参加できるようにしていきたい。
次回は、6月10日(月)午後6時に開催予定(場所は変更の可能性あり)。
【参加者14名(敬称略・順不同)】
明石玲子、浅海延広、笠原美子、加藤尚志、久保田貞雄、厚東健彦、榊原茂典、柴田晴男、田口佐紀子、新村康敏、藤田暢昭、森淳、山口博正、森典秋
【文/森典秋、写真/久保田貞雄】
2013.04.02 4月2日(火) 第1ブロック主催 南相馬市被災地へのバスツアー開催
4月2日(火)、1ブロックの企画による南相馬市被災地バスツアーは、雨の荻窪を朝の7時に出発した。参加人数は36名、それに添乗員の柴山さん、長距離運転のため運転手は2名であった。
雨の東北自動車道を福島に向かって走りながら、2年前の「あの日」は晴れた日だったな、と思う。
桜が満開の佐野SA、安達太郎SAでの小休止を経て、県道⑫を飯館村に向かった。南相馬に行くには直進すれば良いのだが、放射線量の警戒区域があるため、いったん北上して東に向かい、それから南下するのだという。 県道沿いの飯館村は一面、茶色の風景であった。木々はまだ冬枯れのままであり、畑や田んぼは草を抜かれ整地されてはいるものの、作付けが行われていない。放射線量のため作付け制限区域となり、ビニールハウスも中は空っぽである。所々、人家の庭先に紅梅や白梅が咲いているが、どの家もひっそりとして人影はない。沿道の店も閉じている。震災直後、「ゴーストタウン」と言って非難された大臣がいたが、同じ表現が頭に浮かんだ。
昼近くに南相馬市の原町に着いた。相馬地方というのは福島県の太平洋に面した東北部を指し、南相馬市は小高、原町、鹿島の3区からなる。3区の内、津波の被害面積が最大だったのは一番北に位置する鹿島だったが、福島原子力発電所の事故による放射線被害は、一番南の小高区が最大だった。当初、小高区と原町区の一部は原発から20キロ圏内の警戒区域に、原町区の残りと鹿島区の一部は30キロ圏内の計画的避難・緊急時非難準備区域に設定された。現在では、20キロ圏内の小高区も昼間の立ち入りは自由であるが、泊まることや夜間の立ち入りは禁じられている。
昼食場所である原町区中心街のロイヤルホテル丸屋で、南相馬市の教育総務課長・牛(ご)来(らい)さんと、杉並区役所から出向している宮崎さんが合流した。杉並区と南相馬市との間には、今度の震災前から災害友好協定があり、そのきっかけは少年野球の交流だったと聞く。現在、杉並区役所からは8人が南相馬市に出向し、他所からの職員を合わせると30余人の助っ人がいるが、技術者が不足していると牛来さん。一緒に食事を取った後、牛来さんから以下のような説明を聞いた。 南相馬市の人口は震災前7万1千人ほどいたが、現在約1万7千人が市外に避難している。特に若い世代が出てしまったため、労働力が足りず、小売店やスーパーなどの再開が難しい。学校は徐々に再開しているが、今年の1月現在で学校に戻った児童生徒数は57%、幼稚園児は約7割が避難中である。放射線の除染作業は、23年8月から公共施設を対象に始まり、24年9月から生活圏の本格的除染が始まった。放射線量は沿海地区より山際が高いため、臨海地に汚染土などの仮置き場を作ることは受け入れられず、結局、山際に行政区ごとの仮置き場を作ることで、決定した所から着手されている。国の中間貯蔵施設が決まらないことが、除染が進まない大きな原因である。
昨年3月の稲門会のバザーの売上金も含め、杉並区や他所からの寄付はできるだけ目に見える形にしたいと、災害遺児のための子ども未来基金、学校図書、ソーラーアグリパーク(後述)などに利用している。
昼食後、牛来さん,宮崎さんもバスに同乗して、原発から20キロ圏内にある小高地区に入った。かつてバリケードがあった所を通過すると、田んぼや農地の跡だろうか、一面の広大な何もない茶色の土地が広がっている。所々にまとめられた瓦礫の小山が、ちょうど田んぼの刈り入れ後の藁山のように見える。壊れている家も壊れてない家も、同じようにうち捨てられ、人影は皆無、それでも昼間はガソリンスタンドが営業、小高区役所も開いているという。まだ営業できないJR常磐線の小高駅前でバスを降り、集合写真を撮った。津波は常磐線の線路まで来て止まり、同線は23年12月、原町駅と相馬駅間が再開されている。右手に海を見ながら戻る時、流された家の2階部分や打ち上げられた船が目に入った。かつてはたくさんの家があったそうだが、今は広大な茶色の湿地である。 20キロ圏内から出で、原町を海に向かって走った。小高に比べれば原町は道路も整備され、電力を送る鉄塔も復興している。ゴミ置き場ではコンクリートの塊、破棄された車、木材、鉄クズなどがパワーシャベルを使って分別されていた。震災から2年がたった現在、地震の爪後は一応整理されて広大な空っぽの土地となったが、そこをどのように活用し復興させていくのか、これからが正念場であり容易なことではあるまい、と思った。牛来さん、宮崎さんの話では、再生エネルギーであるソーラーパネルを設置したり、工業団地などを持ってくる準備をしている、とのことだった。
二人の市職員がバスから降りた後、最後の訪問場所、ソーラー・アグリパークを訪ねた。ここは復興を担う子供たちを育てるための学習パークで、約2000枚の太陽光パネルを設置し、そこから得られる電気を電気自動車に充電したり、隣接の植物工場へ送ってレタスを栽培するものである。学習はグリーンアカデミーと名付けられ、この4月から開講し、県外からの子供たちの参加も期待しているという。この春に大学を卒業しパークに就職したという3人の青年が、わたしたちをグループに分けて案内してくれた。熱い思いを抱いて働き始めたであろう彼らの未来が明るいものになるよう、事業の発展を祈らずにはいられない。なお、太陽光パネルは、1枚1年1万円で支援者を募集中とのことである。
最後に立ち寄った南相馬「道の駅」で、せめてもの支援の意味を込めて、全員が果物や野菜、海産物などの特産品を購入した。同じ時代に居合わせた日本人として、いったいどんなことが起きたのかこの目で見ておきたいと願ったバスツアーは、夜の10時に荻窪に帰着して終わった。参加された皆様、本当にお疲れさまでした。
参加者名 (1B)久保田貞雄、森淳、田口佐紀子、加藤あゆみ、山口博正、若菜茂 (2B)名取義久、内田直彦、塩脇昌子、藤本源次、千葉明義、石村誠人、宿谷直樹、宿谷和子、山下早苗 (3B)小川啓介、林直矩、松木一彌、長谷川哲夫、馬場一義、松尾清、村上洋子、高橋美保、浅見源司郎 (4B)牛山洋一、服部文夫、伊久美嘉男、井口昌彦、百地健、水野健樹 (5B)大友和男、石田順康 (6B)加藤健 (7B)秋山一郎、秋山寿子,八巻昭
文責 田口佐紀子