2013.06.10 6月10日(月)第1ブロック「杉稲西北の会」例会・懇親会開催   

第1ブロック「杉稲西北の会」では6月10日(月)に今年第2回目となる例会・懇親会を開催した。前回は荻窪駅近くの中国料理店「龍記」で行なったので、今回はブロック内の西地区、善福寺の「魚秀」に会場を移して実施した。
第1ブロックは地域が善福寺から今川、桃井、上井草、井草、そして、下井草と練馬区沿いの西から東にかけて細長い地域分けとなっているため、なかなか一堂に会するには不便なブロックとなっている。これまでは、下井草地域や荻窪周辺で会合・懇親会を行う機会が多かったが、たまには西のはずれになる善福寺地域で開催ということになった。魚秀から歩いて数分の所にご自宅のある加藤尚志さんが日本酒をたっぷり用意して来てくれて、賑やかな懇親会となった。少々酒が利いて議論が白熱化した面もあったが、無事終了した。

【参加者11名(敬称略・順不同)】 明石玲子、池田芳昭、粕尾吉夫、加藤尚志、菊池重夫、厚東健彦、榊原茂典、桝田嘉生、森淳、若菜茂、森典秋

【文と写真/森典秋】

2013.04.08 4月8日(月)第1ブロック「杉稲西北の会」例会・懇親会開催

4月8日(月)に第1ブロック「杉稲西北の会」例会・懇親会を開催した。「杉稲西北の会」としては、例会と懇親会を兼ねた集まりを実施するのは初めての試みであり、今回は荻窪の中国料理店「龍記」で行なった。
第1ブロックの運営に関しては、若菜茂氏と加藤尚志氏が代表代行として加わり、代表世話人の森典秋と3人で役割分担をしていこうということになったものだが、この日の初会合についても基本的には隔月の第二月曜日に開くことを3人で決定した。
本日は、以下の14名にご参加いただき、2つの丸テーブルを囲んで楽しく歓談した。たまたま、第1ブロック主催の「南相馬市被災地へのバスツアー」が4月2日(火)に行なわれた直後であったことから、ツアー提案者の森淳氏より結果報告をしていただいた。現地訪問の詳細については、各テーブルに座ったツアー参加者の久保田貞雄氏、山口博正氏および田口佐紀子さんからも被災地を見て回った状況をお聞きした。その後、これからの「杉稲西北の会」イベント企画として「史跡巡り」や「国会議事堂訪問」等を計画することを話し合って散会した。今後は、この集まりを定例化すべく場所の選定や日程の確定を行ない、できる限り多くの第1ブロック会員が気軽に参加できるようにしていきたい。
次回は、6月10日(月)午後6時に開催予定(場所は変更の可能性あり)。

【参加者14名(敬称略・順不同)】
明石玲子、浅海延広、笠原美子、加藤尚志、久保田貞雄、厚東健彦、榊原茂典、柴田晴男、田口佐紀子、新村康敏、藤田暢昭、森淳、山口博正、森典秋

【文/森典秋、写真/久保田貞雄】

2013.04.02 4月2日(火) 第1ブロック主催 南相馬市被災地へのバスツアー開催

4月2日(火)、1ブロックの企画による南相馬市被災地バスツアーは、雨の荻窪を朝の7時に出発した。参加人数は36名、それに添乗員の柴山さん、長距離運転のため運転手は2名であった。
雨の東北自動車道を福島に向かって走りながら、2年前の「あの日」は晴れた日だったな、と思う。
桜が満開の佐野SA、安達太郎SAでの小休止を経て、県道⑫を飯館村に向かった。南相馬に行くには直進すれば良いのだが、放射線量の警戒区域があるため、いったん北上して東に向かい、それから南下するのだという。 県道沿いの飯館村は一面、茶色の風景であった。木々はまだ冬枯れのままであり、畑や田んぼは草を抜かれ整地されてはいるものの、作付けが行われていない。放射線量のため作付け制限区域となり、ビニールハウスも中は空っぽである。所々、人家の庭先に紅梅や白梅が咲いているが、どの家もひっそりとして人影はない。沿道の店も閉じている。震災直後、「ゴーストタウン」と言って非難された大臣がいたが、同じ表現が頭に浮かんだ。
昼近くに南相馬市の原町に着いた。相馬地方というのは福島県の太平洋に面した東北部を指し、南相馬市は小高、原町、鹿島の3区からなる。3区の内、津波の被害面積が最大だったのは一番北に位置する鹿島だったが、福島原子力発電所の事故による放射線被害は、一番南の小高区が最大だった。当初、小高区と原町区の一部は原発から20キロ圏内の警戒区域に、原町区の残りと鹿島区の一部は30キロ圏内の計画的避難・緊急時非難準備区域に設定された。現在では、20キロ圏内の小高区も昼間の立ち入りは自由であるが、泊まることや夜間の立ち入りは禁じられている。
昼食場所である原町区中心街のロイヤルホテル丸屋で、南相馬市の教育総務課長・牛(ご)来(らい)さんと、杉並区役所から出向している宮崎さんが合流した。杉並区と南相馬市との間には、今度の震災前から災害友好協定があり、そのきっかけは少年野球の交流だったと聞く。現在、杉並区役所からは8人が南相馬市に出向し、他所からの職員を合わせると30余人の助っ人がいるが、技術者が不足していると牛来さん。一緒に食事を取った後、牛来さんから以下のような説明を聞いた。 南相馬市の人口は震災前7万1千人ほどいたが、現在約1万7千人が市外に避難している。特に若い世代が出てしまったため、労働力が足りず、小売店やスーパーなどの再開が難しい。学校は徐々に再開しているが、今年の1月現在で学校に戻った児童生徒数は57%、幼稚園児は約7割が避難中である。放射線の除染作業は、23年8月から公共施設を対象に始まり、24年9月から生活圏の本格的除染が始まった。放射線量は沿海地区より山際が高いため、臨海地に汚染土などの仮置き場を作ることは受け入れられず、結局、山際に行政区ごとの仮置き場を作ることで、決定した所から着手されている。国の中間貯蔵施設が決まらないことが、除染が進まない大きな原因である。
昨年3月の稲門会のバザーの売上金も含め、杉並区や他所からの寄付はできるだけ目に見える形にしたいと、災害遺児のための子ども未来基金、学校図書、ソーラーアグリパーク(後述)などに利用している。
昼食後、牛来さん,宮崎さんもバスに同乗して、原発から20キロ圏内にある小高地区に入った。かつてバリケードがあった所を通過すると、田んぼや農地の跡だろうか、一面の広大な何もない茶色の土地が広がっている。所々にまとめられた瓦礫の小山が、ちょうど田んぼの刈り入れ後の藁山のように見える。壊れている家も壊れてない家も、同じようにうち捨てられ、人影は皆無、それでも昼間はガソリンスタンドが営業、小高区役所も開いているという。まだ営業できないJR常磐線の小高駅前でバスを降り、集合写真を撮った。津波は常磐線の線路まで来て止まり、同線は23年12月、原町駅と相馬駅間が再開されている。右手に海を見ながら戻る時、流された家の2階部分や打ち上げられた船が目に入った。かつてはたくさんの家があったそうだが、今は広大な茶色の湿地である。 20キロ圏内から出で、原町を海に向かって走った。小高に比べれば原町は道路も整備され、電力を送る鉄塔も復興している。ゴミ置き場ではコンクリートの塊、破棄された車、木材、鉄クズなどがパワーシャベルを使って分別されていた。震災から2年がたった現在、地震の爪後は一応整理されて広大な空っぽの土地となったが、そこをどのように活用し復興させていくのか、これからが正念場であり容易なことではあるまい、と思った。牛来さん、宮崎さんの話では、再生エネルギーであるソーラーパネルを設置したり、工業団地などを持ってくる準備をしている、とのことだった。
二人の市職員がバスから降りた後、最後の訪問場所、ソーラー・アグリパークを訪ねた。ここは復興を担う子供たちを育てるための学習パークで、約2000枚の太陽光パネルを設置し、そこから得られる電気を電気自動車に充電したり、隣接の植物工場へ送ってレタスを栽培するものである。学習はグリーンアカデミーと名付けられ、この4月から開講し、県外からの子供たちの参加も期待しているという。この春に大学を卒業しパークに就職したという3人の青年が、わたしたちをグループに分けて案内してくれた。熱い思いを抱いて働き始めたであろう彼らの未来が明るいものになるよう、事業の発展を祈らずにはいられない。なお、太陽光パネルは、1枚1年1万円で支援者を募集中とのことである。
最後に立ち寄った南相馬「道の駅」で、せめてもの支援の意味を込めて、全員が果物や野菜、海産物などの特産品を購入した。同じ時代に居合わせた日本人として、いったいどんなことが起きたのかこの目で見ておきたいと願ったバスツアーは、夜の10時に荻窪に帰着して終わった。参加された皆様、本当にお疲れさまでした。

参加者名 (1B)久保田貞雄、森淳、田口佐紀子、加藤あゆみ、山口博正、若菜茂 (2B)名取義久、内田直彦、塩脇昌子、藤本源次、千葉明義、石村誠人、宿谷直樹、宿谷和子、山下早苗 (3B)小川啓介、林直矩、松木一彌、長谷川哲夫、馬場一義、松尾清、村上洋子、高橋美保、浅見源司郎 (4B)牛山洋一、服部文夫、伊久美嘉男、井口昌彦、百地健、水野健樹 (5B)大友和男、石田順康 (6B)加藤健 (7B)秋山一郎、秋山寿子,八巻昭

文責 田口佐紀子

2013.02.03 2月3日(日) 第1ブロック「杉稲西北の会」第35回例会開催   

第1ブロックでは、平成25年初の例会を2月3日(日)「キャピタルモータース」の会議室をお借りして開催しました。
テーマは、会計報告と今後のブロック活動活発化および世話人体制の強化でした。急な招集通知にもかかわらず、また、厳しい寒さの中でしたが10人が参加し熱心な議論を展開し方向性を示していただきました。
まず一つは、代表世話人を補佐する体制作りでした。加藤尚志さんと若菜茂さんが代表代行のような形で参画し、代表世話人の森典秋との3頭立てでもってブロック活動を推進することになりました。
二つ目は、定例会のあり方について議論しました。毎月または隔月というように定期的に一定の日にちを決めて集まり、例会開催の頻度を高めることとしました。定例会後の懇親会も適宜実施するようにしました。
そして三つ目には、森敦氏から提案いただいている被災地訪問について、4月上旬実施を目処に詳細を詰めることとなりました。 今後のブロックにおけるイベントに関しては、大々的に行うことを考えるのではなく、ブロック内の身の丈にあった企画で行えればよいという意見が出ました。年間を通したスケジュールを示して、できる限り多くのブロック・メンバーが参加していただけるようにしたいものと思っております。

【参加者10名(敬称略・順不同)】
久保田貞雄、厚東健彦、笠原美子、若菜茂、森淳、桝田嘉生、菊池重夫、池田芳昭、山崎武正、森典秋

【文・写真/森典秋】

2012.12.10 12月10日(月)第1ブロック「杉稲西北の会」忘年会開催

第1ブロック「杉稲西北の会」では2012年の締めくくりとなる忘年会を12月10日(月)に吉祥寺の第一ホテルで開催した。
今回は、世話人の加藤尚志さんが提案し、2階の「パークストリート」を会場として、バイキング形式の食べ物重視趣向で実施してみた。通常は間仕切り無しの空間だが、一角に30〜40名の貸し切り場所を設けてもらい、ビールや酒、ワイン等を飲み放題とした。厚東健彦世話人の乾杯の音頭で宴会を開始した。当日の参加者は28名。ゲストとして、隣りブロックである第2の松本甫代表世話人、名取義久氏、内田直彦氏、第3の宇都木光一世話人、さらに第7ブロックから秋山一郎代表世話人の参加を賜った。
美味しい料理に舌鼓を打ち、飲み放題の酒を楽しみ、和気あいあいのうちにあっという間のひと時が過ぎた。久保田貞雄杉並稲門会副会長が締めの挨拶を行い、その後は、元気一杯の清水一平さんが声を張り上げて校歌と応援エールを送るところだったが、場所が場所であったために、声をひそめて静かに応援エールを送った。そして、加藤尚志氏による一本締めで今年の忘年会を終了した。
「杉稲西北の会」としては、他の6つのブロックのような多岐にわたる活動が出来ないままにこの1年を終わってしまったが、来年はより一層結束を固めて、地域の皆さんのたくさんのご参加とご協力がいただけるよう努力したいと思う。

(参加者28名:明石玲子、赤松弘之、浅海延広、井上裕雄、榎本幸子、笠原美子、加藤尚志、菊池重夫、久保田貞雄、厚東健彦、榊原茂典、佐藤正之、柴田晴男、清水一平、田口佐紀子、長尾唱、新村康敏、藤田暢昭、堀井慎一、米良正博、山口博正、若菜茂、松本甫、名取義久、内田直彦、宇都木光一、秋山一郎、森典秋…以上敬称略)

【文・森典秋】