2013.04.02 4月2日(火) 第1ブロック主催 南相馬市被災地へのバスツアー開催

4月2日(火)、1ブロックの企画による南相馬市被災地バスツアーは、雨の荻窪を朝の7時に出発した。参加人数は36名、それに添乗員の柴山さん、長距離運転のため運転手は2名であった。
雨の東北自動車道を福島に向かって走りながら、2年前の「あの日」は晴れた日だったな、と思う。
桜が満開の佐野SA、安達太郎SAでの小休止を経て、県道⑫を飯館村に向かった。南相馬に行くには直進すれば良いのだが、放射線量の警戒区域があるため、いったん北上して東に向かい、それから南下するのだという。 県道沿いの飯館村は一面、茶色の風景であった。木々はまだ冬枯れのままであり、畑や田んぼは草を抜かれ整地されてはいるものの、作付けが行われていない。放射線量のため作付け制限区域となり、ビニールハウスも中は空っぽである。所々、人家の庭先に紅梅や白梅が咲いているが、どの家もひっそりとして人影はない。沿道の店も閉じている。震災直後、「ゴーストタウン」と言って非難された大臣がいたが、同じ表現が頭に浮かんだ。
昼近くに南相馬市の原町に着いた。相馬地方というのは福島県の太平洋に面した東北部を指し、南相馬市は小高、原町、鹿島の3区からなる。3区の内、津波の被害面積が最大だったのは一番北に位置する鹿島だったが、福島原子力発電所の事故による放射線被害は、一番南の小高区が最大だった。当初、小高区と原町区の一部は原発から20キロ圏内の警戒区域に、原町区の残りと鹿島区の一部は30キロ圏内の計画的避難・緊急時非難準備区域に設定された。現在では、20キロ圏内の小高区も昼間の立ち入りは自由であるが、泊まることや夜間の立ち入りは禁じられている。
昼食場所である原町区中心街のロイヤルホテル丸屋で、南相馬市の教育総務課長・牛(ご)来(らい)さんと、杉並区役所から出向している宮崎さんが合流した。杉並区と南相馬市との間には、今度の震災前から災害友好協定があり、そのきっかけは少年野球の交流だったと聞く。現在、杉並区役所からは8人が南相馬市に出向し、他所からの職員を合わせると30余人の助っ人がいるが、技術者が不足していると牛来さん。一緒に食事を取った後、牛来さんから以下のような説明を聞いた。 南相馬市の人口は震災前7万1千人ほどいたが、現在約1万7千人が市外に避難している。特に若い世代が出てしまったため、労働力が足りず、小売店やスーパーなどの再開が難しい。学校は徐々に再開しているが、今年の1月現在で学校に戻った児童生徒数は57%、幼稚園児は約7割が避難中である。放射線の除染作業は、23年8月から公共施設を対象に始まり、24年9月から生活圏の本格的除染が始まった。放射線量は沿海地区より山際が高いため、臨海地に汚染土などの仮置き場を作ることは受け入れられず、結局、山際に行政区ごとの仮置き場を作ることで、決定した所から着手されている。国の中間貯蔵施設が決まらないことが、除染が進まない大きな原因である。
昨年3月の稲門会のバザーの売上金も含め、杉並区や他所からの寄付はできるだけ目に見える形にしたいと、災害遺児のための子ども未来基金、学校図書、ソーラーアグリパーク(後述)などに利用している。
昼食後、牛来さん,宮崎さんもバスに同乗して、原発から20キロ圏内にある小高地区に入った。かつてバリケードがあった所を通過すると、田んぼや農地の跡だろうか、一面の広大な何もない茶色の土地が広がっている。所々にまとめられた瓦礫の小山が、ちょうど田んぼの刈り入れ後の藁山のように見える。壊れている家も壊れてない家も、同じようにうち捨てられ、人影は皆無、それでも昼間はガソリンスタンドが営業、小高区役所も開いているという。まだ営業できないJR常磐線の小高駅前でバスを降り、集合写真を撮った。津波は常磐線の線路まで来て止まり、同線は23年12月、原町駅と相馬駅間が再開されている。右手に海を見ながら戻る時、流された家の2階部分や打ち上げられた船が目に入った。かつてはたくさんの家があったそうだが、今は広大な茶色の湿地である。 20キロ圏内から出で、原町を海に向かって走った。小高に比べれば原町は道路も整備され、電力を送る鉄塔も復興している。ゴミ置き場ではコンクリートの塊、破棄された車、木材、鉄クズなどがパワーシャベルを使って分別されていた。震災から2年がたった現在、地震の爪後は一応整理されて広大な空っぽの土地となったが、そこをどのように活用し復興させていくのか、これからが正念場であり容易なことではあるまい、と思った。牛来さん、宮崎さんの話では、再生エネルギーであるソーラーパネルを設置したり、工業団地などを持ってくる準備をしている、とのことだった。
二人の市職員がバスから降りた後、最後の訪問場所、ソーラー・アグリパークを訪ねた。ここは復興を担う子供たちを育てるための学習パークで、約2000枚の太陽光パネルを設置し、そこから得られる電気を電気自動車に充電したり、隣接の植物工場へ送ってレタスを栽培するものである。学習はグリーンアカデミーと名付けられ、この4月から開講し、県外からの子供たちの参加も期待しているという。この春に大学を卒業しパークに就職したという3人の青年が、わたしたちをグループに分けて案内してくれた。熱い思いを抱いて働き始めたであろう彼らの未来が明るいものになるよう、事業の発展を祈らずにはいられない。なお、太陽光パネルは、1枚1年1万円で支援者を募集中とのことである。
最後に立ち寄った南相馬「道の駅」で、せめてもの支援の意味を込めて、全員が果物や野菜、海産物などの特産品を購入した。同じ時代に居合わせた日本人として、いったいどんなことが起きたのかこの目で見ておきたいと願ったバスツアーは、夜の10時に荻窪に帰着して終わった。参加された皆様、本当にお疲れさまでした。

参加者名 (1B)久保田貞雄、森淳、田口佐紀子、加藤あゆみ、山口博正、若菜茂 (2B)名取義久、内田直彦、塩脇昌子、藤本源次、千葉明義、石村誠人、宿谷直樹、宿谷和子、山下早苗 (3B)小川啓介、林直矩、松木一彌、長谷川哲夫、馬場一義、松尾清、村上洋子、高橋美保、浅見源司郎 (4B)牛山洋一、服部文夫、伊久美嘉男、井口昌彦、百地健、水野健樹 (5B)大友和男、石田順康 (6B)加藤健 (7B)秋山一郎、秋山寿子,八巻昭

文責 田口佐紀子

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