2015.12.12 12月12日(土)杉並稲門会主催 講演会 「大隈重信と小野梓」開催

12月12日(土)、早稲田大学中野国際コミュニティプラザ1階会議室において、「杉並稲門会」(以下「杉稲会」)主催講演会「大隈重信と小野梓ー早稲田を創った男 小野梓の誕生と活動」が、近隣稲門会会員をも含め87名(うち留学入寮学生6名)の参加を得て開催された。
講師は大日方純夫・早稲田大学文学学術院教授(大学史資料センター所長兼任)。日本近代史(政治史・警察史・社会史)がご専門の先生なればこそ、草創期の母校を取り巻くお話と来れば、必然的に聴講者の熱い期待感が会場を包む。
午後12時30分より受付開始。定刻の午後1時、本講演会講師の紹介者でもある萩原和之「杉稲会」企画委員長より開会挨拶ならびに講師紹介。そして久保田貞雄「杉稲会」会長より講師ならびに近隣稲門会会員への歓迎と感謝の挨拶があった。
ここでいよいよ講演へ。先生には、図版も多く取り入れられた10ページにわたるレジュメをご用意していただき、またパワー・ポイントをも用いられてのご懇切なるお話である。
小野梓という御方は、生来病弱でありつつも勉学に勤しみ、後年は官僚として財務会計や法務に携わって活躍する一方、〃前髪麗しき頃〃には戊辰戦争へ参加するなど青嵐の気概に満ちておられたようである。 大隈侯との出会いは、同郷人であり恩人であり後に義兄となった小野義真(当時大蔵省に勤務し侯の配下であった)なる御方の紹介であったとか。その後は侯のブレーンとして「3大事業」たる「政党」・「学校」・「書店」の実現へ侯と共に邁進していくことになる。このうち「政党」については「立憲改進党」の結成へ、「書店」については「東洋館書店」の開業へ、そして「学校」については云わずと知れた「東京専門学校」の開校へ、それぞれ結実して行く。
また『国憲汎論』(全3巻)を著し日本国憲法について日本語で日本歴史を踏まえて論述したり、『民法之骨』(上巻のみ)では社会情勢や権利関係への関心を示したりしたものの、斯く七面六臂の活躍真っ只中において、33歳10ヶ月という若さで肺結核のため死去した。
小野梓という御方は、とにかく博覧強記であったようである。また若いころから視野が広かったようである。あの時代の若者なら当然のことなのかも知れぬが、若干18歳で「救民論」(1870)を著し自主自由と世界平和とを論じ〃一大合衆政府の建設〃を提言するなど、やはり只者ではない。当時の社会情勢の要請もあったであろうが、<教養を持つ社会を創ること、そのためには先ず脚下からこそ・・・!>というのが、一貫した彼の一大テーマであったように思われる。だからこそ、官僚としては日本歴史を大切にした国民意識の底上げを図る近代化を進め、在野にては日本語での基本的な教育を重視した基盤作りを進めたのであろう。国威発揚のあるべき根本的姿勢のような気がしてならず、目先だけの上っ面のみの安易なる変化が絶えぬ現代へ大いに通ずる警鐘とも感じられた次第である。 豊富な資料と中身の濃いお話を前に挙手も無いまま、萩原委員長による閉会挨拶を以て、本講演会は恙無く終了した。

(文/嗣永典子 写真/前坂靖弘)

(杉並稲門会)
田口 佐紀子、若菜 茂、加藤 尚志、久保田 貞雄、中村 昌代、厚東 健彦、桝田 嘉生、浅海 延広、千葉 明義、山下 早苗、藤本 源次、名取 義久、和田 紘正、和田 則子、松本 甫、柿澤 好治、田中 保、中路 正治、吉村 孝雄、長谷川 将、長谷川 哲夫、松倉 崇、尾崎 政雄、馬場 一義、松尾 清、小林 幸司、大田 忠雄、水野 健樹、前田 研二、服部 文夫、中村 京子、柄谷 隆宏、西野 正浩、前坂 靖弘、栗原 正彦、井口 昌彦、田村 純利、中村 正代、嗣永 典子、金澤 陳樹、下地 正彦、萩原 和之、桜井 孝男、常松 貞夫、後藤 正志、山田 實、鎗田 徳、川口 久仁男、田中 重、加藤 健、荻野 慶人、林 義徳、秋山 一郎、尾上 孝、西郷 洋平、高橋 達見、板垣 伸夫、柴田 亜矢子、中谷 聡

(中野稲門会)
岩井 信、小柴 雅人、遠藤 恭一、笹田 裕、鈴木 伊津美、三木としお、武田 洋、入交 顕、佐藤 義士、橋本 睦子、降旗 正道、高田 宣美、岡本 孝子

(世田谷稲門会)
横田 吉明、土倉 享一、麻生 卓司、鈴木 宏治、戸田 昇

(武蔵野稲門会)
諸江 昭雄、片岡 冬里

早稲田学報1名 WISH学生 6名

講演会受付

萩原MC

久保田会長

大日方講師

講義

聴衆

演題

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