131017 10月17日(木)第6ブロック「漱石・鴎外の足跡を辿る知的散歩」開催
10月17日(木)、まさに台風一過、青空の広がる秋の一日であった。台風被災地の方々にはお見舞い申し上げつつ、「文(ふみ)の京(みやこ)」の知的散歩を参加者一同で楽しんだ。
午前十時、千代田線千駄木駅に集合、ガイドの大貫正男氏を先頭に、総員十一名、まず鷗外記念館(観潮楼跡・鴎外旧居)に向かうため、ちょっと急な団子坂を登り始める。明治になって、ここで菊人形の見世物が開かれていた。坂を登り切る途中に左へ曲がる小径がある。これを「藪下の道」といい、ここを鷗外はよく散歩したとのことである。鴎外は『青年』で青年・小泉純一に藪下の道を散策させているというガイドの説明を受ける。坂を登り切ると記念館に到着。館内展示の資料を閲覧して庭を拝観後、根津神社に向かう。途中、その昔太田道灌の領地であった森を見、「解剖坂」(名前にちょっとどっきり)を登って漱石旧居・猫の家跡を見学。塀の上に飾られた猫の置物が可愛らしい。
次の訪問先・根津神社には、隣りに鎮座する乙女稲荷の連なる赤鳥居をくぐると、六代将軍家宣の胞衣が収められているという塚を経て境内に。権現造りの構造の説明を聞きながら、その豪壮さに感心する。「お賽銭に十円(とうえん)はよくない。なぜなら縁が遠くなるから」そんな話に、明るい笑い声が響く。拝殿で、参加者は家内安全、健康を祈願したようである。楼門の脇には森林太郎の名が刻まれた「鷗外の石」、鷗外や漱石が坐して構想を練ったといわれる「文豪(憩)の石」があり、そこに座って暫し瞑想する人もいた。根津神社は『青年』に描かれている当時とあまり変わることなく静かな佇まいを見せ、趣のある姿をとどめていた。集合写真を撮影して、本郷に向かう。途中、東大球場で野球部の練習風景を見学。鴎外の散歩道の途中にある願行寺で細木香以の墓に詣でる(鴎外の史伝『細木香以』)とともに、珍しい富士講碑を見る。
本郷通りに出て、追分を渡り昼食のために東大安田講堂地下の食堂へ。値段が安いうえにおいしさも文句なし、とは参加者の弁。食事の後は三四郎池へ。街中とは思えない緑の木々に囲まれた静かな雰囲気を味わう。そして朱塗りの美しい赤門へ。建築様式が薬医門であり、切妻造りであること、12代藩主前田斉泰が溶姫を迎える際に建造したことなどの説明を受けて新しい知識を得る。赤門を出るとすぐに法真寺の東隣に一葉が五年間住み、庭にあった大きな桜の木を懐かしんだ「桜木の宿」がある。法真寺では、毎年、一葉忌が行われている。一葉の『ゆく雲』の中で幼き日の思い出に語られる「濡れ観音(腰衣の観音様)」を拝んで菊富士ホテル跡へ。そこに建てられた記念碑には滞在した多くの小説家、芸術家、思想家たちの名が記されていた。「この人も!」という声頻り。途中に鴎外の挿絵を描いた原田直次郎のアトリエ跡があり、さらに宇野浩二の居住跡でその変人ぶりの説明を受けると、すぐ近くには、啄木の下宿先であった「赤心館跡」があった。先輩の金田一京助を訪ね、自らも二階の一室を約四ヵ月借りて小説を書き始めたが、家賃を払えず追い出されたそうである。振袖火事で知られる本妙寺跡を巡り、しばらくして徳田秋声旧宅に着く。当時のままが残されており、そのハイカラさが目を引く。現在記念館とすべく改築中とのこと、そこにいた大工さんに「できるだけそのままの姿を残してくださいね」とはガイドの言葉。一葉がよく通ったという質屋「伊勢屋質店」の蔵を見て次に訪れたのは、啄木ゆかりの居住先・蓋平館別荘(現在・太栄館)。ここで詠んだといわれる「東海の小島の 磯の白砂に 我泣きぬれて蟹とたわむる」(『一握の砂』)の石碑があり、それぞれの人が感慨にふけっていた。そこを後に宮沢賢治旧居跡を経て一葉の旧居を訪問した。昔懐かしい雰囲気を漂わせる狭い路地に、向かい合うように旧居はあり、一葉がよく洗濯したといわれる井戸がひっそりと存在していた。狭い石段を登り、次に訪れたのが、第2次大戦中に赤紙・召集令状を送り出していた所。ここから多くの人たちが戦場に送られたのかと思うと、思いも一入であった。すぐ近くには、坪内逍遥の旧居・常盤会跡があり、逍遥はここを旧松山藩出身の書生の寄宿舎として教育に尽力したとのことである。正岡子規もここに学生時代、三年余り住んでいる。逍遥の『小説真髄』、『当世書生気質』はここから生まれた。
この近くには、今回の企画でお世話になった「文京ふるさと歴史館」がある。まさに文京区の歴史を知るうえで貴重な施設といえよう。弥生式土器(複製)の展示・解説、地理や地形の特徴と密接にかかわる文教の歴史が解説されており、また江戸時代の武士や町人たちの暮らしと、「文教のまち」と呼ばれるにふさわしい文人や学者たちの足跡を辿ることもできる。
そろそろ散策も終わりを迎えようとしている。次の訪問先は、啄木が家族と共に二年間暮らした間借り先「喜之床」である。旧居は犬山市の明治村に保存されている。そして最後の見学場所は「かねやす」――「乳香散」という歯磨き粉を売り出して有名になった老舗である。「本郷もかねやすまでは江戸の内」と詠われたことはよく知られている。 地下鉄本郷三丁目駅近くで解散。
約八キロの道を予定より一時間オーバーであったが、達成感を感じながら無事完歩。ガイドの解説は詳しく、参加者の知的好奇心を大いに刺激してくれた。「久しぶりに楽しみながら気合の入ったガイドができました」という大貫氏の言葉が少し疲労した体に心地よく響いた。
参加いただいた皆さんのご協力に感謝 !!。
【参加者11名(敬称略・順不同)】
荻野慶人、山口治夫、影井恭子、加藤健、来島正和、佐々木高久、成瀬勝也、長谷川晴男、清水克祐、川島格、野村修
(文・写真 野村修)